2007年11月19日月曜日

エコビレッジと地域

英国のコミュニティの多くは、古い農家やカントリーハウスをセルフビルドで改築して住んでいるが、しばしば非合法的な増改築が行われている。他のヨーロッパの都市でもそうだったように、70年代のヒッピー時代には、空き家に勝手に住み着く輩も珍しくなかったのだろう。

そんな若者のやんちゃぶりを白眼視したのは行政だけではない。自由でオルタナティブを目指す人びと保守的な農村住民との間に、価値観の乖離があったのも明らかだ。とりわけウェールズは、ウェールズ人とイギリス人の緩やかなライバル関係が常にある。ウェールズのコミュニティでウェールズ語を聞くことはまずないことからも、このような活動が新住民のものであり、必ずしも地元文化と密着していないことがわかる。

しかしながら軋轢や衝突を経て、社会から一定の信頼を勝ち得ているケースも少なくない。北ウ
ェールズのあるコミュニティでは、当初非合法に建物を建て自治体から撤去を求められていたが、長年の活動(環境やアートを学ぶコースやイベントを実施している)が評価を得、2007年秋に建築許可を獲得した。数年前に火事で家が焼けたときは、地域住民が寄付を集めて再建に協力してくれたという話も聞いている。


同じく北ウェールズのCAT(Centre for Alternative Technology)は日本でもたびび紹介される環境教育センターだが、歴史をたどると同じような素性を持っていることがわかる。サスティナブルなライフスタイルを求めてコミューン生活を始めた若者たちが、紆余曲折を経て80代に方向転換をし、現在の姿となった。他のヒッピーコミューンと異なったのは、メンバーが建築や土木などの技術に大きな興味関心があったことである。

ここでは、敷地内の建物や施設はその土地で得られる環境への負荷の少ない資材で建てられ、化石燃料のバックアップを受けながらも
、9割近くの燃料を風力や太陽光などの自然エネルギーでまかなっている。ユーモアあふれるディスプレイや教材、コースを通じて子どもをはじめ一般の人びとが環境について学べる仕組みが人気だ。修学旅行の学生や大学院のコースなどを含め、毎年約7万人を超えるビジターが訪れている。

環境を軸にした商品開発や技術コンサルタント業など、地域ビジネスも生み出してきた。レストランやショップ、出版など多角的な運営をしている。当時のヒッピー・コミューンの面影はあまり感じられないが、ボランティアの集う部屋をちょっとのぞくと、当時を髣髴とさせる雑然とした雰囲気を味わうことができる。全英のみならず世界各地からボランティアが集まっていることがわかる。

地域とよい関係を保っているコミュニティを見てみると、根気強く積極的に情報発信を行っていることがわかる。また学校活動や地域の祭りごとなどを通じて、パーソナルな交友関係が築かれたこと、さらに地域に対する経済的、社会的な貢献が、長年に渡って認められ、支えられるようになった様子が伺える。

新住民と旧住民、あるいは地域コミュニティとテーマコミュニティの軋轢は、日本でも馴染みのある話題である。「どこもそう変わらないよ」とイギリス人。程度や性質に違いはあろうが、よい人間関係を築くのに時間と努力が必要であることは、どんな社会でも共通なのだろう。

エコビレッジ訪問記 ウェールズ2

翌日はポールとクリスとともに燃料用の薪を切り出しに森に出かける。重い丸太を運んだり整理したりする作業で、かなりの重労働だ。でも天気のいい森の中で汗をかくのは気持ちがいい。終るころにはへとへとに疲れていたが、もっとやってもいいかなという気持ちになっている。

ポールの話では、初代カップルは離婚しコミュニティの活動からも遠ざかっているが、今でも親交はあり、そのひとりエマは隣りの敷地に住んでいるという。「エマの家を訪ねてみるといいよ。今日はその辺にいるはずだから」と言わ
れ、わくわくしながら彼女の家を訪問した。家というより緑に埋もれた小屋という感じだ。

エマは想像していたとおりカリスマ的な雰囲気をもつ、バリバリヒッピー風の女性だった。彼女はちょうど畑の準備をしているところだったが、親切に作業の手を休めて家を見せてくれた。
「わたしは環境教条主義だからね、電気なんてものには反対なのよ。できるだけシンプルに住みたいの。この家なんて1週間くらいでできちゃったのよ。材料はみんな自然に手にはいるしお金はほとんどかかってないわ。高いローン組んで、家の返済に追われてあくせく仕事するなんて馬鹿げてるわね」

後半部分には賛同するが、電気はあったほうがいいと思うわたし。トイレも見当たらなかったが、冬でも外でするんだろうか。風呂やシャワーなんて当然ないわけだ。

「便利な道具は、時間がない人間にとっては頼らざるを得ないものだけど、こういうところで彼女みたいな暮らをしていたら、身体を洗うのに3時間かけてもいいんだろうな。」とクリス。確かに、ものがなくても時間さえかければ何とかなることもたくさんあるのだろう。自然にならい、時間をかけて工夫するプロセスにいろんな発見や楽しみがある、エコビレッジの本質的な部分かもしれない。

ブリスディア・メアを訪問してから数ヶ月後の2007年7月、ラウンドハウスの建築許可申請が再度否認された。「生物多様性や樹林環境に悪影響を与える」という理由だった。その模様は国内の有力紙やラジオ、テレビなどでも報道されている。メディアの反応はおおむねトニーに好意的であるが、その後の行方はわからない。

エコビレッジ訪問記 ウェールズ1

ブリスデイア・マウルは1994年に南ウェールズのペンブルクシャー州で発足、英国でも名前の知られているエコ・コミュニティのひとつである。3人の若者が,サスティナブルなライフスタイルを目指して野生の魅力あふれるこの地に移住。次第に同じような志向の人びとが集まり、古民家を改築しながら静かなコミュニティ生活が繰り広げられた。その名前が一躍有名になったのは、違法建築をめぐる行政との対立がしばしばメディアに取り上げられてからだ。
97年にトニー・リンチの建てたラウンドハウスは、藁や土など自然素材を用いたエコハウスとして雑誌やウェブでもよく紹介されているが、ペンブルクシャー州の国立公園事務所はお気にめさなかった。彼らは建物の取り壊しを要求、それに対してトニーは建築許可を求めて長年闘争を続けている。もっともこれらのストーリーと、現在のコミュニティ住民に直接の関係はない。2002年、ブリスディア・マウルはラウンドハウス組とは分かれて別組織をたちあげ、住宅組合から借地・借家する形で現在の生活を営んでいる。住民は大人10人、子ども5人、20代後半から40代前半の子育て世代が中心で、みな明るく朗らか、せわしく忙しそうにしていた。「過激」な印象はまったくない。


案内してくれたエリカはリラックスしたムードの女性で、食事の支度をしながらいくつかの質問に応えてくれた。「街の人に理解してもらうのはたしかに時間がかかるわね。でも日常の買い物や子どもの学校を通して人間関係ができたりして、だんだん変化していると思うわ。わたしたちは極端な主義主張を持っているわけでもなく、他の人たちとそう変わらないと思うのよね。ここに来たの?かれこれ
7年目かしら。多少の人の出入りはあるけれど、新しい風が入るのはいいことだと思っているわ」

私は友人のクリスと週末だけのウーファーとして滞在し、コモンミールにも参加させてもらった。夕食は月曜から金曜まで一緒に全員そろって食べるという。隣に座ったポールがここの仕組みを説明してくれた。

現在のブリスディア・マウルは問題のラウンドハウス・トラストと土地を2分し、約80エーカーの土地と建物、畑を所有している。野菜はほとんど自給。ヤギや羊、鶏も飼っている。週に一度のコミュニティ会議のほかに、外部からファシリテーターを招いてワークショップの研修を行うこともある。コースやイベントも実施しているが、収益を目的として恒常的に行う意志はないという。「お金が絡んだり、常にゲスト対応をしなくてはいけなくなると、コミュニティの生活に影響が出るからね」あくまでも住環境を守ることが優先とポール。

特に小さなコミュニティでは、エコライフとビジネスの両立は難しいのだろう。ここでは幼い子どもが多いこともあるのか、コミュニティと同時に家族の時間を大切にしている様子が伺われた。食事がすむと、リビングでは子どもたちが学芸会の衣装を着てはしゃいでいたが、早々にそれぞれの部屋に引き上げ、たちまちコモンハウスはひっそりと静まった。

2007年11月18日日曜日

エコビレッジとスピリチュアリティ

「持続可能なライフスタイルの模索」はエコビレッジのひとつのテーマだ。再生可能なエネルギー技術や環境にやさしい住宅デザインなどいわゆるエコテクノロジーはその実現のためのツールである。しかし、サスティナブルなライフスタイルやコミュニティを構築するには、技術だけでは解決できない問題がたくさんある。住民ひとりひとりの意識や仲間との関係性を、オープンでポジティブな状態で維持することもそのひとつだ。

フィンドホーンはしばしばスピリチュアル・コミュニティとして紹介されるように、その意識形成や集団結束にスピリチュアリティが極めて重要な位置を占めている。フィンドホーンの創始者のひとりアイリーンは「神からの啓示」を受けこの地で活動を始めており「
自然は人間の生命にとって重要な情報を持っており、自然とともに働くことを通じてその情報を学ぶことができる」と説いている。しかし、彼らの神は決してキリスト教や特定の宗教を意味しているわけではない。むしろ仏教や先住民の伝統的な宗教への興味関心が高く、受講生の中にも、キリスト教、イスラム教、仏教、無宗教いろいろな人がいた。

スピリチュアリティは私の苦手とするところで、十分理解できたか正直自信がない。特定の宗教にもとづく神ではなく、「人間の力を超えた崇高なものを自然の中に認め、それら対する畏敬の念を忘れずに謙虚に学ぶ精神」が私なりのせいいっぱいの解釈である。高度に工業化された社会では、人間があたかも自然をすべて管理できるかのようにふるまい、目に見えるもの、数値で評価できるものだけでものの価値を計っている。科学や経済のものさしでは計ることのできない価値を求める態度こそ、現代日本でももっとも欠けている視点ではあるまいか。

近代の環境問題はひとりひとりの意識を改革することなしに改善は難しい。また、集まって住むという生活環境中では、過去の伝統社会や企業組織の契約関係のような従来の社会構造とは異なる、民主的な意志決定のプロセスデザインが不可欠となってくる。

住民がお互いの違いを認め尊重し合いながら合意点を見つけていくには、自分の意見や感情を上手に表現し、また他人のそれも受け入れるオープン性を身につけることは肝要である。もちろん、感情を表現することが必ずしも常に正しいアクションとは限らない。しかし、感情の抑圧が人間性や人間関係に何らかのネガティブなインパクトを持つことも明らかだ。特に昨今の社会問題の背景には、十分に人間性が形成されず、他人の痛みを察することのできない人が増えていることがあるのではないだろうか。感情表現やコミュニケーションなんて訓練するものではないと思う人も多いだろうが、豊かな感情を育て、他人の感情も受け止めるためには安心してそれを表現できる機会が必要だ。

エコビレッジは「地球環境のため、コミュニティのため」だけではなく、「より人間らしく、より自分らしく」生きることを目指す人びとの集まりでもある。いろいろな意味で自分をオープンにしていくことは、その過程作業のひとつなのだろう。

エコビレッジ訪問 スコットランド3

私の受けた研修は、「エコビレッジ・デザイン・エデュケーション」という4週間にわたる経験者向けのコースだった。エコロジー、エコノミー、ソーシャル、スピリチュアルの4つの課程に分かれている。

中でも初日のディープエコロジーは研修中もっとも衝撃的な印象深いプログラムだった。エコロジーを人間のための資源問題や生態系の保全という視点ではなく、人間も自然の一部であり、人間と一体なものとして自然を体感するという前提にたった考え方だ。

考えてみると、地球上のさまざまな環境問題に対して多くの情報があるにもかかわらず、それらのあふれる情報が人びとの記憶にとどまることはまれである。戦争や貧困にまつわる多くの悲劇が報道されても、それらの知識によって自分の生活を変えたり、新しいアクションを起そうという人は多くない。情報が増えても世界は変わらないのかもしれない。

逆に、自らを愛するように他者を慈しめたら、他者の痛みを我がことのように感じられたら、今の生活は到底できないに違いない。人間と自然、他者と自己の同一視を体感するという考え方には深く共鳴する。

しかしながら、それをプログラム化したとき、やはり頭での理解と心身反応に乖離があることを痛感せずにはいられなかった。たとえば最初のエクササイズは地球の痛みを表現してわかちあうトレーニングだったが、いざそれを実践しようとしたとき、言葉で理解するほど簡単なものではないことに愕然とした。

感情をどれだけオープンにするか、どう表現するかについては、もちろん個人差があるし、文化的な違いも大きいと思われる。言葉で表現されないものへの思いやりや察しの文化は、日本人的なのかもしれないが、西欧ではすべて言葉や態度で表現しなくては理解されないのだろうか。そんなことをつらつらと考えながら、何となく気後れして積極的に参加できなかった。プログラム終了直後には後ろめたさというか劣等感すら感じていたが、他の受講者との会話の中で、国籍はばらばらでも同じような感覚の人がいることに少しほっとした。

研修のプログラムに加えて、夜にはシェアリングという時間があった。中央に置かれた石を握った人が自分の感じていることを語る間、周囲は発言をはさんだりじゃまをするような行為をしてはいけない。ネィティブインディアンのトーキングスティックの要領だ。他のコミュニティでも経験したことがある。

シェアリングは、実務的な情報交換や議論の場ではなく、主に感情的な面を分かち合うために行われる。他人の言葉に心を傾けて聞く態度と、きちんと聞いてもらえる環境をつくることによって、普段は表現しにくい、あるいは衝突を招くようなネガティブな感情も上手にシェアできるのかもしれない。

私は残念ながら、言葉の壁もあり、自信を持って自分の気持ちを表現することはできなかった。また研修という環境の中だったせいか、あまりその重要性を実感できなかったように思う。しかし、家族でもネガティブな感情を抱えながら気持ちよく生活するのは難しい。生活を共にするコミュニティでは、このような時間が重要な働きをするのだろう、と想像する。

エコビレッジ訪問 スコットランド2

フィンドホーンにはいわゆる住民が約500人、そのうち有給常勤スタッフとして120人がパークと呼ばれる敷地に住んでいる。コミュニティの定義は狭義ではフィンドホーン財団のメンバーだが、必ずしも敷地内に住んで生活空間を共有しているわけではない。近隣の村に家を持ちながらコミュニティのための労働を担う者もいるし、逆に敷地内に住みつつ外の仕事で生計をたてている人もいる。


オフィスでコンピューターを担当しているウィリアムも、フィンドホーン・パークに6年住んいたが、今は隣の村から通勤しているひとりだ。「中に住むのも楽しいけど、自分の環境や心境にあわせてコミュニティとの関わり方を調整できるのが大事だと思う。たまには距離を置きたいこともあるからね」なるほど、集団内の人間関係が行き詰まらないようにするには、そういう自由度は重要に違いない。ただし、「コミュニティにまったく関心がないのに利益だけを得ようとしたり、他人に依存するような人は困るけどね」というウィリアムの補足はそれ以上に重要なことだろう。

彼によると、住民の中にはヨーロッパだけでなく日本や中国などアジアの国々からやってくる人もいるという。「ここは異文化の集まる場所だから、それぞれの文化によってコミュニケーション方法もさまざまだよ。たとえば僕らスコティッシュは内気だから、ここのオープンな関係性には最初とまどう人も多い。アジア人もそうだろうと思うね。だけど緊密なコミュニティを作っていくには、ひとりひとりが外に対して意識をオープンにしていくことはとても重要なんだ」

フィンドホーンでは研修プログラムの最中も、常に一種独特の空気が漂っている。神やエンジェルという言葉や、握手や抱擁などのスキンシップが頻回に交わされるこの雰囲気に、おそらく多くの一般的日本人と同じように、私も最初は抵抗があった。しかしながら、日を追って仲間たちとの信頼関係が築かれるにつれ、それも次第に自然なものになっていった。

空間が常に整然とととのえられ、花や絵画など美しいもので囲まれているのも、人びとの気持ちをやわらげ明るくするのに役立っている。見た目の美しさだけでなく、ものごとがすべて優雅に正確に進んでいくことにも感心した。組織全体に、しっかりと統率のとれたきめ細かいケアがされていることが想像できる。

英国のコミュニティは「時間にルーズ、雑然として衛生レベルは決して
高くない、ルールや統率が苦手」というのが私の一般的な印象だが、ここではいずれも当てはまらない。コミュニティにもいろいろな文化があるものだ。

エコビレッジ訪問 スコットランド1

フィンドホーンは、英国はもとよりヨーロッパのエコビレッジネットワークを牽引している有数のコミュニティで、国連と連携しているNGOとしても知られている。

1963年、創始者の3人がキャラバンパークに移り住んで以来、変遷を重ね、1983年から本格的な環境共生型コミュニティに着手する。エコ建築、再生可能エネルギー、生物学的汚水浄化施設(リビングマシーン)、自然農法による食糧生産など環境に配慮したライフスタイルの基礎を構築するとともに、40以上のコミュニティビジネスを起業。また、世界的な成人教育、特にスピリチュアル研修の場として、年間万人を超える受講者が滞在しながら学んでいる。

敷地内を歩くと、キャラバンやユルタのようなシンプルな家から、大きくておしゃれな近代的な住宅までいろいろな建物が緑に囲まれて建てられている。デザインがあまりに多様なので、一見、何でも自由に建設できるかのように見えるが、実はさまざまなルールがある。

まず、住宅建築にはいくつかの財団の関連会社が建設した住宅を購入するケースと、土地所有者が建築ガイドラインに沿って建築する場合とがある。また、家を建築もしくは購入する人は、コミュニティに積極的に参加するか少なくとも目的に賛同する必要があること、土地を売ろうとする地権者はその責任において必ずすべての購入者がコミュニティの一員となることを保証しなければならないなどの条件がある。なお、土地売買手続には財団の土地販売グループが関わるようになっているので、勝手な売買は認められない。

そのほかガイドラインには、伐木、植林、フェンスや壁の設置、拡張や外構の改変にはコミュニティの承認が必要なこと、省エネルギーや高い断熱レベル、資材の選定などエコロジーに配慮した項目が定められている。

フィールドオブドリームと呼ばれる新しい住宅地には、規模も大きく瀟洒な外観の家がいくつもある。ヘンリーはフィンドホーンに住んで6年になるが、最近この中の一軒に引っ越してきた。ここではリビングマシーンの管理を担当している。家の中を案内してもらったが、建築雑誌に出てくるようなサンルームや吹き抜け、美しい家具調度のならぶリビングにびっくり。単身者の彼にこの家は広すぎるので、部屋を間貸ししたり、メディテーションやマッサージルームとして使っているらしい。暖房やソーラーパネルについての質問には、残念ながら適当な回答は得られなかった。

ジミーは、仕事として敷地内の住宅工事を請け負っている。昼休みに工事中の建物を見学させてもらった。エコ建築やコミュニティ参加へのルールについて聞いてみたところ「ガイドラインはあるけど、あくまでも努力目標ってとこじゃないかな。悪いけど、僕はこれをエコ建築とは呼ばないね。コミュニティへの貢献?僕らに仕事をくれることじゃないの」となかなか辛らつだ。

どうやら彼の施主は、エコロジーやコミュニティにあまり熱心ではないらしい。経過については定かではないが、外国産の材料や再生不可能な資材を多用していることが主な批判の理由のようだった。ジミーの施工している住宅が例外的ケースなのか、あるいは一般的な問題なのか私にはまったく判断できない。ただ、コミュニティの規模が大きくなり、メンバーの入れ替わりが進むにつれ、目標の共有やルールの徹底が難しくなるのは想像に難くない。

エコビレッジの人間関係

エコ・ビレッジの大きな特徴であり、会社や行政機関などの組織との大きな違いは、関わる人びとの関係性である。共通した価値観と強い人間関係で結ばれた共同体であること、生活上のいろいろな決めごとについては、各々の住民が参加して決め、ともに責任をもつ点はどのコミュニティでも基本的に同じだ。

利潤追求のような使命もなく、契約やヒエラルキーもないグループでは、コミュニケーションや意思決定システムがとても重要になってくる。エコ・ビレッジを運営していくためのキーだと言っても過言ではないだろう。

根強い縦型社会の中で育ち、自己主張や議論自体に消極的な日本人は、互いの意見をぶつけあい、それぞれの違いを認めながら合意形成を進めていくという参加型の意志決定を苦手としがちだ。協調性には優れているが、強いリーダーや細かなルールがないと、たちまちものごとが進まなくなる、という弱点も持っている。

しかし、経験豊かなヨーロッパ人だって、人間関係や合意形成の難しさは基本的にはそう変わらないようだ。コミュニティの住民はみな「トライ・アンド・エラー(試行錯誤)」だと強調する。


環境問題や平和問題では意気投合しても、「ペットのこと、台所の使い方、子どものしつけについて」日常生活で議論となるテーマはたくさんある。コミュニケーションの難しさから、共同の作業や施設を維持していくことができなくなったというところもあった。情熱と勢いでスタートした頃と、10年経過したコミュニティでは、個人を取り巻く事情も変わるだろう。

もちろん、国によって集団によって、スタ イルはかなり異なる。
住民の中にはいわゆるヒッピーや運動家タイプもいるが、「よりよい子育て環境」や「安全で美しい住処」を求めてやってきた「ごく普通の人びと」もたくさんいる。

独断だが、ドイツやオランダのコミュニティと比べて、イギリス人のグループはルールを嫌い、フレキシブルで自由な関係性を求める傾向が強いと感じた。
集団運営のために一定のコミットメントが必要だということは了解事項でも、あまり強固な関係性は敬遠されるようだ。

ごく普通の人びとがプライバシーと共同生活のバランスをとりながら、より合理的で安心快適な生活のために集まって住むことを求めている。できるだけ多くの人が参加できるためには、間口は広く敷居は低いほうがよい。たくさん集まれば環境面、経済面のスケールメリットも大きい。日本でも、おそらくこのタイプが好まれるだろうと予想される。

しかし、どんなスタイルのコミュニティを営むにしても、十分なコミュニケーションや主体的な参加が不可欠であることを忘れてはいけない。
他人任せの住民がおいしいところだけ求めて集まっても、結局長続きしないだろうから。

2007年11月16日金曜日

エコビレッジ訪問記ドイツ3

夕食のテーブルで隣に座ったミラーが、ここの集団運営について興味深い話をしてくれた。
「衝突?もちろんあるよ。衝突は集団生活につきもの。それを否定したり避けてはいけない。むしろ全体でシェアし、よりよい方法で解決することで強いコミュニティになっていくと思っている。」


なるほど。衝突を恐れないというのは日本人の一番弱そうな部分だが、それを克服してこそ強いコミュニティになるというのはもっともな話だ。

「外の社会では、ヒエラルキーや建前があってなかなか本音を出せない。でも表面的な人間関係では、エコビレッジの運営は決してうまくいかないんだ。ここでは1年に1回の集中ミーティング(7時間×7日間)を通じて、ネガティブな感情も含めて全住民でシェアしようと心がけている。もちろんたくさん表現する人もなかなかできない人もいるよ。でも、それは他人のためではなく自分自身のためにすることなので、あまり重要なことではない。終った後は自分の中がすべてきれいになった気分で嬉しくなるよ」

うーん、これはなかなか大変そうだ。話したことで関係がまずくなったり自己嫌悪に陥ったりしないのだろうか。翌日エリカに再度質問してみる。

「上手に話し合いができるよう、いろいろな工夫や練習も必要よ。ワークショップの研修を受けたり、外部ZEGGという別のエコビレッジから)ファシリテーターを招いたり。集中ミーティングではきわめて個人的な問題から、全体に関することまでいろいろなテーマが話し合われるの。話したくないときは話さなくてもいいのよ。でも、トレーニングを重ねて自己開発をしていくことも目的なの。ときどき疲れることもあるけど、集団のコミュニケーションを円滑にしていくために、とても大切なことだと思っているわ」

仮に技術や法制度、資金など必要な条件すべてそろっても、エコビレッジが生活空間であること、担い手が常に住民であることを考えると、内部コミュニケーションをいかに上手にはかっていくかが健全でサスティナブルな組織運営の鍵なのだろう。二人の話を聞いて強くそう感じた。

エコビレッジ訪問記ドイツ2

たまたま今日の夕食はエリカが当番だというので、私も手伝うことにした。ここでは住民が当番で食事をつくり、毎日3食をともにしている。夫は住居建設に忙しく、幼い2人の子どもの世話や食事当番はもっぱら彼女の役目のようだ。二人で野菜を刻みながら、エリカがコミュニティの仕組みについて話してくれた。
ここで居住を希望する人は、1年間の試行期間を経て全員の話し合いで決定される。住居人を決定する基準は明確ではないが、今後は必要だと考えているという。正式住民になると住居があてがわれ、織の運営全般に関わる権利と義務を有する。一定金額(約200万円)の保証金(退去時に返還される)をおさめるか、毎月生活費をおさめる方法がとられている。

住人の中にはプロジェクトごとに賃金を貰う人もいるが、いずれも短期的なものだ。アクセサリーや木工品を販売したり、外部で講師をしたり、それぞれパートタイムで収入を得ている。彼女も夫も元は医師なので、ときどき病院のアルバイトを探すという。

100人という人数は多いのでは、という質問にエリカは次のように答えている。
「全員で話し合うことを前提とすると、確かに100人は限界に近いかもね。でも、最終的には
300人まで住めるコミュニティを目指しているの。将来ここに住みたいという希望者も常にいるのよ。でも、今は住宅環境が整ってないし、さらに建物を建てるとなると、また自治体と協議しなくちゃいけないしね。今のところ、行政ともいい関係を保っているから、しばらくは拡大計画はないんじゃないかな」

100人(大人70人)全員で話し合うというのは想像以上に大変なことだろう。しかも、彼らはリーダーや役員、専門家は必要ないと考えている。住民メンバーのもつ様々な知識を活用し、それぞれが主体的に参加し責任をもつことが重要だと信じているからだ。

その代わり、徹底した民主的意思決定システムが取り入れられている。重要な課題については、最初にトーキングスティックを用いてできるだけたくさんの意見を引き出す。すべての意見が表明されたところで、次は小さなグループを作って極端な意見も含めて話し合い、その中での合意形成を図った上で、再度全体で話し合うようにしているという。他にも話し合いに関するいくつかの興味深いルールがある。

「提案を否決する人は代替案の模索に協力しなければならない。否決は話し合いの最終形ではなく新しいプロセスの始まりである」「明らかな必要性がない場合は何も決定しない」「平和的合意の秘訣は一人一人あるいは共同のプロジェクトを通じて、それぞれが自分自身を表現する場を持つこと。もし全員がそういう自由を持っていれば、たとえ他の人が自分とは明らかに異なる意見を持っていても尊重できる。」「平和的なコミュニケーション重要なのは、実務的な問題と感情的な問題を分けて扱うこと」などだ。

エコビレッジ訪問記ドイツ1

シーベンリンデンは北ドイツ(ハノーヴァーとベルリンの中間地点)にあるエコビレッジ。
ドイツでは大規模な民間住宅開発は法制度上難しく、一般住民や政治家の理解を得、公式に認可を受けるまでに何年も費やした。
97年に23Haの土地を購入、エコビレッジとしてスタートしている。(現在までに44Haに拡張)

また村全体の計画・設計には内部だけではなく多くの専門家や既存のエコビレッジ住民、役人、学生などが参加し意見を交わすなかで進められ、コアメンバーは建物の建設を始めるまでに四季を通して現地を観察、実験を重ねたという。

今回は、スコットランドの研修で知り合ったエリカを尋ねてやってきた。
11月で天気も悪いせいか、バスの乗客は私ひとりだった。エリカがバス停まで私を迎えにきてくれた。敷地の門までは歩いて5分くらいだったが、そこからコモンハウスまではまだ少し歩く。木々の間からいくつかの建物とキャラバン郡が見えた。

彼女の話ではここの住民は大人70名、子ども30名の計100人。住民の中にはエリカ一家のように、キャラバンに10年近く住んでいる人たちもいる。もうすぐ新しい家に引っ越すのだと嬉しそうに話してくれた。約14ヶ月に渡る建設を経て、いよいよの俊工、入居らしい。

住宅建築に興味があると言うと、早速工事中の建物を見せてくれることになった。3階建て、住宅およびオフィス、共同のキッチンやダイニング、バスルームがある。木材、レンガ、藁、土、石など天然の素材を駆使し、熱効率を追及したデザインだとエリカのパートナー、スベンが自慢するふうでもなく説明してくれた。資材はすべて現地調達、製材から自分たちでしたというから、そのこだわりは相当なものだろう。

私も石を運んだり、砂を均したり、単純作業だけ手伝わせてもらった。とても丁寧な仕
事をしているのがよくわかる。過去には3階建てのストローベールハウスを、電気を一切使わず建てたという。「あれはちょっとやり過ぎって感じだけどね」エリカは冗談っぽく言ったが、まったくクレイジーな話だ。

エコビレッジの食

エコ・ビレッジの食事は基本的にベジタリアンだ。環境に与える負荷を考肉食をできるだけ減らす、有機的に栽培された食べ物を選ぶなど、エコダイエットの考え方にたっている。日本では馴染みの薄いベジタリアン食に最初は少しとまどったが、なるほど理にかなった考え方だ。
1日1食ないし2食を当番がつくる。
英国、ドイツ・北欧などはいずれも食文化の豊かな国とは言えないが、エコビレッジの食は国の標準値をはるかに上回っていた。季節の野菜や野草を上手に料理しており、お味もなかなかのものだ。食事づくりも毎日となると手を抜きたくなるが、当番のときくらいは張り切ってつくるのだろう。共同のダイニングで一緒に食事をするのもおいしさの秘訣かもしれない。

私も料理は好
き なので、食事当番はすすんで引き受けた。ひじきの煮物、豆腐のステーキ、きゅうりとわかめの酢の物、インゲンの胡麻和え、野菜の煮びたし、アボガドのわさ び醤油サラダ、などなど。最近ヨーロッパでは日本食がちょっとした人気で、ここでも好評をはくした。味噌、醤油、海藻類は比較的簡単に手に入る。

実はベジタリアンにもいろいろなタイプがあって、魚は
OK という人もいれば動物の生産するものは一切ダメという厳しい作法の人たちもいる。後者は環境や健康だけでなく、生命の尊厳など倫理的な理由から超菜食主義を提唱していてビーガンと呼ばれる人たちだ。かつおダシから卵、乳製品、蜂蜜までダメなのときているから、日本人にはかなりハードルが高いと思われる。

どのコミュニテ
ィも敷地内に畑を持ち、多少なりとも野菜を栽培していた。パーマカルチャー、バイオ・ダイナミック、福岡式農法など手法はさまざまだが、化学肥料や農薬に頼らず、自然の力を最大限に活かした農法を試行している。ただヨーロッパは気候的に難しいのか、コミュニティ内で畑作業に従事する人手が足りないのか、残念ながら自家製野菜は夏の一時期だけというコミュニティが多かった。

英 国コーンウォールにある古い共同農場は、農場を経営するために集まったコミュニティでコモンミールなどの習慣はない。それでも農業では収入が足りないので、キャンプ場やビジターの宿泊施設を経営している。土地はたくさんある が、単位面積あたりの収量を上げて作業を集約的にしたい、もしくは外からの収入をメインに、野菜栽培は自家用だけにした方がいいだろうなどという議論をし ていた。

日本でも有機農業で生計をたてるのはかなり難しいが、世界最大の有機野菜のマーケットを誇る英国でも、そう簡単ではないらしい。
地域の有機農家と契約して、定期的に野菜を届けてもらっているところもあった。外部とのつながりを考えると、完全に自給自足を目指して閉じた関係をつくるよりも、うちのキャベツと隣のトマトを交換するくらいの方が望ましいのかもしれない。

エコビレッジ訪問記フランス3

食事の後、だらだらと中庭で過ごす人びとを眺めながら、ヨハンとエコビレッジの運営の難しさについて話をした。

「重要でかつ難しいのはメンバーの意思共有。自分が何をしたいのかを明確に他者に伝えること、ビジョンを描いて共有できればアプローチはそれぞれ違っていてもいいんだ」と彼。週に一度の全体ミーティングは欠かせない。住民になるためにはボランティア体験の後、1年の試行期間を置いて双方の意思確認をする。全員無給だが、食事、住環境、保険はコミュニティが補償している。年間2~3週間の休暇もとることができる。

住民はここの運営が忙しく、外で働いて収入を得ることはほとんど不可能。
「収益をあげて住民に給料を払う計画はないの?」
「今はビジターの宿泊費だけが主な収入で、給料が払えるほどにはならない。野菜や鶏、ヤギは今のところは自給用だけど、将来は乳製品の販売も計画している」
スリムな体格と銀縁眼鏡のヨハンは、もともとコンサルティング会社に勤務していたビジネスマンだけあって事業センスもありそうだ。


「収益も伸ばしたいけど、まずは生活そのものを大事にしたいんだ」と言う彼に、わたしは「現金収入がないことに不安はないんですか?」と、少し失礼だったかなと思われる質問をしてみた。

ここでは食住という最低限必要なことがハイレベルに整っている。健康で安全な生活と豊かな人間関係があるということが、人生でもっとも大切なことじゃないかな。老後のことまでは考えていないけど、ここでは若い人も家族を持って参加しているよ」 

モノが整っていても必ずしも健康で安全な生活をおくっているとは言えない。ましてや豊かな人間関係はお金では買えない。でも、お金がなくても幸せなんて現 実的にあり得るのだろうか。もしかしたら、手放せないと思い込んでしがみついているものこそ役にたたないものかもしれない。

彼は今日から1週間のホリデーでオランダの実家に帰るという。「人生でもっとも大切なこと」という言葉を頭の中で繰り返しながら、ヨハンの車を見送った。

エコビレッジ訪問記フランス2

敷地内を歩いていると、畑の中心にそびえるピラミッドが目をひいた。金属のパイプを組み合わせたもので高さ7~8メートルはあるだろうか。せっせと草むしりをしているウーファーたちに尋ねたところ、バイオダイナミック農法に関するものらしい。シュタイナーが提唱したこの農法、月の満ち欠けや風や水など自然のエネルギーを最大限に活かして作物を育てる方法として知られている。畑はきれいに手入れされており、作物はどれも立派な生長ぶりだ。野菜の間に植えられているカラフルな花の色は、作物にパワーを与えるのだと説明された。残念ながらこの技術について詳しく質問する機会はなかった。

ここでは野菜のほかに120種類のハーブ栽培に力を入れている。ショップでオイコスというオリジナルブランドのハーブティーやハーブオイルなどの化粧品を販売していた。案内してくれたソニアが「ビールは冷蔵庫から勝手にとってね。お金はそのビンに入れてくれればいいから。わたしは夕食の手伝いに行ってくるわね」と言って出て行った。

ダイニング前の中庭がにぎやかになってきた。のんびりくつろぐ人。ギターを弾く人。住民なのかビジターなのかはわからない。何人かと軽く挨拶をしていると夕食の鐘がなった。わたしもお腹がぺこぺこだ。

ベ ジタリアンのオランダ料理にあまり期待はできないだろうと、高をくくっていたわたしは、テーブルに並ぶ色とりどりの料理を見た瞬間、自分の偏見を反省した。 この日の晩はキュウリのマリネ、ライスのサラダ、麩のカツにアーモンドソース。生野菜のサラダ。ホームメードの小麦パンとベリーのジャムにアップルパイの デザート。お味も見事なものだった。

エコビレッジ訪問記フランス1

エコロニーはフランスの北東部ヴォージュ県にあるエコビレッジ。湧き水と林に囲まれた静かでみどり深い場所だ。1989年に10数名のオランダ人がエコビレッジの建設のためにヨーロッパ各地を探して見つけたのがこの地。オランダは土地が高く、植生も単調なため、広くて自然豊かなフランスのこの土地は大変魅力的だったという。21haの敷地とかつては炭鉱の子どもが通う林間学校だった建物を買収し、5年かけて改築した。

客室(35室)の他に図書室、談話室、瞑想ルームやアトリエまであり、夏はビジターのために絵画や彫刻、陶芸、ヨガなどのワークショップを無料で提供している。ビジター宿泊は13545ユーロ夏のハイシーズンには300人近いビジターが訪れ、キャンピングカーやティーピー(インデアン風のテント)も利用するという。

敷 地内では基本的にタバコ、携帯電話は禁止。携帯を持ち歩いていると自然や人とのコミュニケーションに集中できないからというソニアの説明は多いに説得力が あると思った。この小さな大発明のおかげで日頃どれだけ気持ちを乱されていることか。手放せばよいもののそれもできないと来ている。それどころか持ってい ないと不安すら覚える。禁止と聞いて安心してやめられるなんて情けないけれど、そのくらいの意志を持って日々の暮らしに意識を集中しようという、ここのや り方に好感をもった。

エコロニーは大人15人子ども3人の住民の他に、外部のサポートメンバー7人で成り立っている。衣食住に関するコミュニティの運営は住民メンバーのほかに年間約150人のウーファー(ボランティア)が支えている。住人および主要メンバーはみなオランダ人だが、ボランティアはヨーロッパ各地からやってくる人びとだ。

ウーファーは、主に農家などで一定時間の労働を提供する代わりに無料で食住を与えられる制度で、ヨーロッパの若者には人気がある。れを利用して、酪農などの体験を積みながらあちこちの美しい田舎暮らしを楽しんでいる者もいる。もっともここでは最低2週間、18時間、週40時間の労働が条件というから、遊び気分では辛いだろう。料理や菜園の手入れなどスタッフの指示でいくつかグループに割り振られ、鐘とともに作業に出て行った。なかなか勤勉で統制のとれたな組織運営の様子が伺える。

ど うりで建物もガーデンも清潔で美しく管理されているわけだ。鐘と同時に始業する彼らの働きぶりにはいささか堅苦しい印象もないではないが、これくらいの縛 りがないとウーファーもただの居候となる危険性がある。「気がついたらボランティアは飲んだり歌ったり。こっちはそんなボランティアのご飯ばかり作ってい て肝心の仕事は一向に進まない」と嘆いてる別のコミュニティの話も聞いたことがある。

エコビレッジの経済

これまで日本でエコ・ビレッジの取り組みが紹介されるとき、その焦点はおおむねエコ建築や自然エネルギーなど、環境テクノロジーという側面に当てられているように思う。しかしながら、エコ・ビレッジの基本理念は環境だけでなく、社会性、経済性そして精神性における持続可能性を視野にいれていることに留意し なくてはいけない。それら4本柱は相互に関連しあっていて、上手にそのバランスをとることが持続可能のキーと言ってもいいだろう。

環境的にすぐれていても 経済的に自立しないために破綻するケース、また健康な人間関係やコミュニケーションを欠いたために運営で行き詰まった取り組みは過去にたくさんある。もちろん、エコ・ビレッジの認定制などがあるわけではないので、国や文化、ロケーションや住民の構成によって、フォーカスは様々だ。

エ コ・ビレッジにおける経済問題はどこでも課題だ。私有財産を認めないような共産的なコミュニティもなかにはあるが、多くは家族単位の経済的自立が原則で、 一定量(20~40時間)のボランタリーな労働をコミュニティのために提供するというシステムが一般的なようである。多くの住民は外で若干の仕事をして現 金収入を得るか、貯金か公的な扶助(年金やひとり親家庭手当てなど)に頼っている。障がい者の生活と労働の場として作られたコミュニティは、政府から補助 を受けていた。助成金の取得はそれほど難しくなさそうだったが、公的な金が入るといろいろな制約を受けるという不満も耳にした。

500人 や1000人規模の大きなコミュニティでは、住民同士が各自できることを提供しあったり、地域通貨のような仕組みを導入したりして生活の足しにしている。 人が集まればいろいろな技術や知識も集まるものだ。たとえば元美容師や元庭師などが、自分の技能をコミュニティの中で活かしている。特別な技や資格がなく ても、子どもの世話や買い物、車の運転、ペットの散歩など日常生活に必要なことをシェアしたり、ときには仕事として報酬をもらっている。

身 寄りも友達もいない都会の単身者は、そのようなサービスを得るために常にお金が必要だし、儲けにならない地域ではサービス自体が成り立たないので全てひと りでしなくてはならない。コミュニティを作って住むこと、住民同士が互いに助け合い、意識的に技術や場をシェアすることで、よりお金のかからない生活が実 現することがわかる。核家族化がますます進む現代社会では、このような生活形態のメリットは大きいだろう。

人に頼んだり、頼まれたりする ことでトラブルが生じるのではと案じる人も多いが、このようなつながりは経済的であるばかりか、社会に埋もれている潜在的な能力を引き出し、安心して生活 できる社会をつくることにもつながる。いろいろな人がゆるやかに結び合うこと、少しの不便や煩わしさをむしろ楽しく共有することで、個人や家族単位では実 現できない、多様で合理的、そして人間的に豊かな暮らしが実現できるのではないだろうか。

エコビレッジ訪問記フィンランド2

ここには4人のシングルマザーがいる。その一人ヤーナが親切にも彼女の家にお茶に招いてくれた。彼女は10歳の子どもと二人暮らし。ここに来る前にイタリアとカナダのエコビレッジに住んだことがある。

「エコビレッジの運営でもっとも大切な価値観は、環境に対する意識があること。あらゆる暴力を否定すること。住民一人ひとりが合意形成に参加し、本音で話し主体的に動くこと」とヤーナ。

過 去に、住民間の意思疎通が悪くなって運営がうまくいかなくなったとき、アメリカインディアンのコミュニケーションに学ぶセミナーを開催したという。フィン ランド人は概して引っ込み思案で自己主張をあまりしないので、自分の意見や感情を率直に表現する訓練が必要だ、というヤーナの話を聞いて、まるで日本人の ようだなと思った。

午後のミーティングにはビジターの私も招かれ、自己紹介をする機会を与えられた。日本での環境に対する取り組み、子育て、食べもののことなど質問され、ひとしきり会話をした後、フィンランド語で本格的な会議が始まったので、中座して外を歩くことにした。

リ タが案内役をしてくれると申し出てくれた。彼女は60歳。「会議ばかりで嫌になることもあるわ。わたしは野菜を作ったり、サウナで泳ぐのが好きなの」なる ほど、会議をサボりたいのが本音だったのかも。畑を横切り湖の辺のサウナへ。裸になって並んで話をする。中は薄暗いが、外からの日差しと湖の水のきらめき がまぶしい。彼女は若いときからエコビレッジに住むのが夢だったが、家族の同意が得られず実現できなかったと話してくれた。子どもも独立し、年金生活に なったので、再び夢の生活をしてみたいと思い、今は夏を中心にここに住み、週に1回夫のいる家に帰っているという。翌 日は、わたしも料理や畑作業を手伝った。農学部の大学生が長期でボランティアに来ており、作業の要領を教えてくれた。シュタイナー・スクールの高校生も研 修に来ている。「こういうコミュニティに住んでみたいか」と質問すると、「今は親と同居してるから現実的 じゃないけど、いつか住んでみたい。子どもがいたらこういうところはすごくいいと思う」「この夏はずっと畑作業をしてたの。料理はあまり好きじゃないけ ど、少しは覚えたわ」

フィンランドのような自然環境に恵まれた人口の少ないところで、エコビレッジなんてわざわざ作る必要があるのだろうか。初めはそんな疑問も抱いていたが、シングルマザーの支援や若者の社会訓練、子育てなど集まって住むことの社会福祉的な効果は計り知れない。

それにしても、こんなところで生活できたらさぞかし豊かな暮らしができるだろうな、今日もリタとサウナに行こう。裸で湖で泳ぐのがやめられなくなりそうだ。

エコビレッジ訪問記フィンランド1


首都ヘルシンキから北に約300キロ。ケウルー・エコビレッジは森と湖の国を文字通りあらわしたような水と緑に包まれたコミュニティだった。駅まで車で迎えに来てくれたセイヤーは創設者の一人と名乗り、車の中で簡単に活動の概略を話してくれた。

こ こは1997年にスタートしたフィンランド最初のエコビレッジ。現在は子どもを含めて30人の住人がいる。土地52haと大小30棟の建物は、かつては刑 務所、その後アル中毒患者や難民の収容所として使われていた。3人の創設者が、組合方式で銀行から融資を受けて買い取ったという。

夏 には多くの研修生や宿泊客がいるらしいが、この週はわたしの他にビジターはいなかった。秋の冷え冷えとした空のせいか、この敷地の広さに寂しささえ覚え る。荷物を降ろすやいなや、早速ダイニングに通されランチをいただくことになった。住民と長期滞在ボランティアらが、ここで1日2回食事をともにしてい る。

有機栽培食品、ベジタリアンが基本。畑で野菜も栽培しているが、冬期間は外から買っているとのこと。この日は特別に魚の入ったスープ が出た。今日の料理人はなかなかの腕前らしい。この国に来てから1週間、正直言って食事には満足していなかったが、ここではおいしい家庭料理にありつけそ うだ。思わず2杯目に手が出る。

食事をしながら、セイヤーがここの仕組みについて話をしてくれた。 
住民は1日4時間の労働をコミュニティのために行なうこと、週に1度の全員ミーティングに参加することが基本的なルール。料理や掃除、会計など、コミュニティに必要な労働をリスト化してその中から自分にできるもの、やりたいものを選ぶ仕組みになっている。

住民の家賃とビジターの宿泊費が組合の主な収入だ。建物の維持管理などで消えてしまい、住民の労働に報酬を払うまでには至っていない。みな在宅のアルバイトをしたり、町で不定期に働いて生計をたてている。年金やひとり親家庭手当てなど、公的扶助に頼っている人も少なくない。

「ここに住みたい人は誰でも住めるのか」と質問してみた。新しい住民の希望があったときは、まず2日間、そして2ヶ月、最終的に6ヶ月の期間を経て、コミュニティにふさわしいメンバーかどうかを全員で判断するという答えだった。
ふーむ。ここの住人になるのもなかなか厳しいらしい。

改めてエコビレッジとは何か


ヨーロッパではエコ・ビレッジと呼ばれる環境共生型コミュニティが、この10年くらいで続々と(というほどでもない?)増えている。

といっても このエコ・ビレッジ、決して真新しいものではない。歴史を遡ると60年代に起こった環境・平和ムーブメントの中で、非合法的に集団生活を始めたコミュニ ティが発祥。時代とともに変遷する中で、現代のさまざまな社会問題に対応して一種の社会のあり方を実践的に提示したと認知されつつある。最近では都市計画 や建築などの専門家にもかなり注目されている。

「人と環境にやさしいライフスタイル」なんて言うと、まるで手垢のついた下手 な行政スローガンのようだが、当時、俗にヒッピーと呼ばれる若者が目指したものは簡単に言うとそういうことだろう。過度に都市化した非人間的な社会を批判 し、エコロジカルな生活を目指してキャラバンや、古い農家を改築して共同生活を始めた時代は革命的な発想だったに違いない。その頃は、自治体関係者はもち ろん地域住民からも白い目で見られたとみな口をそろえて言う。彼らのコミュニティ運動はヨーロッパ各地で同時多発的に起こり、運営面、技 術面で失敗も多かったが、現代社会のニーズに対していくつかの現実的な解決策を示した。ドラッグなどの問題を抱えて分裂したり消滅したものも少なくない が、そのうちのいくつかは今も形を変えて発展・存続している。
た とえばスコットランドのフィンドホーンは国連とも提携しているNGOで、国連住居センターから最優良事例に選ばれている。また、現在わたしが住んでいる ウェールズでは、今まさに英国初の都市計画エコビレッジが誕生しようとしている。地方の過疎や住宅問題を背景に、エコビレッジが環境問題を解決しつつ、地 域の活性化にも寄与すると考えた地方自治体が、従来の開発行為基準を改正しようとしているのだ。

日本でも、環境問 題解決に向けたテクノロジー開発や法制度の整備は着実に進んでいる。しかし、それぞれの活動体や他分野とのつながりがないため現実的に効果を発揮できない ことが多い。環境にしても福祉にしても単体の問題として扱っているうちはなかなか解決にたどり着かない。自然保護だけではサスティナブルな街はつくれな い。

それらの課題に包括的に取り組む手法はないものかと考えていたときに、エコ・ビレッジに出会った。
このレポートは2006年秋から1年かけてヨーロッパ各地(フィンランド、フランス、ドイツ、英国)のエコビレッジを訪問・滞在した旅の記録である。