そんな若者のやんちゃぶりを白眼視したのは行政だけではない。自由でオルタナティブを目指す人びと保守的な農村住民との間に、価値観の乖離があったのも明らかだ。とりわけウェールズは、ウェールズ人とイギリス人の緩やかなライバル関係が常にある。ウェールズのコミュニティでウェールズ語を聞くことはまずないことからも、このような活動が新住民のものであり、必ずしも地元文化と密着していないことがわかる。
しかしながら軋轢や衝突を経て、社会から一定の信頼を勝ち得ているケースも少なくない。北ウェールズのあるコミュニティでは、当初非合法に建物を建て自治体から撤去を求められていたが、長年の活動(環境やアートを学ぶコースやイベントを実施している)が評価を得、2007年秋に建築許可を獲得した。数年前に火事で家が焼けたときは、地域住民が寄付を集めて再建に協力してくれたという話も聞いている。
同じく北ウェールズのCAT(Centre for Alternative Technology)は日本でもたびたび紹介される環境教育センターだが、歴史をたどると同じような素性を持っていることがわかる。サスティナブルなライフスタイルを求めてコミューン生活を始めた若者たちが、紆余曲折を経て80代に方向転換をし、現在の姿となった。他のヒッピーコミューンと異なったのは、メンバーが建築や土木などの技術に大きな興味関心があったことである。
ここでは、敷地内の建物や施設はその土地で得られる環境への負荷の少ない資材で建てられ、化石燃料のバックアップを受けながらも、9割近くの燃料を風力や太陽光などの自然エネルギーでまかなっている。ユーモアあふれるディスプレイや教材、コースを通じて子どもをはじめ一般の人びとが環境について学べる仕組みが人気だ。修学旅行の学生や大学院のコースなどを含め、毎年約7万人を超えるビジターが訪れている。
環境を軸にした商品開発や技術コンサルタント業など、地域ビジネスも生み出してきた。レストランやショップ、出版など多角的な運営をしている。当時のヒッピー・コミューンの面影はあまり感じられないが、ボランティアの集う部屋をちょっとのぞくと、当時を髣髴とさせる雑然とした雰囲気を味わうことができる。全英のみならず世界各地からボランティアが集まっていることがわかる。
地域とよい関係を保っているコミュニティを見てみると、根気強く積極的に情報発信を行っていることがわかる。また学校活動や地域の祭りごとなどを通じて、パーソナルな交友関係が築かれたこと、さらに地域に対する経済的、社会的な貢献が、長年に渡って認められ、支えられるようになった様子が伺える。