2007年11月19日月曜日

エコビレッジと地域

英国のコミュニティの多くは、古い農家やカントリーハウスをセルフビルドで改築して住んでいるが、しばしば非合法的な増改築が行われている。他のヨーロッパの都市でもそうだったように、70年代のヒッピー時代には、空き家に勝手に住み着く輩も珍しくなかったのだろう。

そんな若者のやんちゃぶりを白眼視したのは行政だけではない。自由でオルタナティブを目指す人びと保守的な農村住民との間に、価値観の乖離があったのも明らかだ。とりわけウェールズは、ウェールズ人とイギリス人の緩やかなライバル関係が常にある。ウェールズのコミュニティでウェールズ語を聞くことはまずないことからも、このような活動が新住民のものであり、必ずしも地元文化と密着していないことがわかる。

しかしながら軋轢や衝突を経て、社会から一定の信頼を勝ち得ているケースも少なくない。北ウ
ェールズのあるコミュニティでは、当初非合法に建物を建て自治体から撤去を求められていたが、長年の活動(環境やアートを学ぶコースやイベントを実施している)が評価を得、2007年秋に建築許可を獲得した。数年前に火事で家が焼けたときは、地域住民が寄付を集めて再建に協力してくれたという話も聞いている。


同じく北ウェールズのCAT(Centre for Alternative Technology)は日本でもたびび紹介される環境教育センターだが、歴史をたどると同じような素性を持っていることがわかる。サスティナブルなライフスタイルを求めてコミューン生活を始めた若者たちが、紆余曲折を経て80代に方向転換をし、現在の姿となった。他のヒッピーコミューンと異なったのは、メンバーが建築や土木などの技術に大きな興味関心があったことである。

ここでは、敷地内の建物や施設はその土地で得られる環境への負荷の少ない資材で建てられ、化石燃料のバックアップを受けながらも
、9割近くの燃料を風力や太陽光などの自然エネルギーでまかなっている。ユーモアあふれるディスプレイや教材、コースを通じて子どもをはじめ一般の人びとが環境について学べる仕組みが人気だ。修学旅行の学生や大学院のコースなどを含め、毎年約7万人を超えるビジターが訪れている。

環境を軸にした商品開発や技術コンサルタント業など、地域ビジネスも生み出してきた。レストランやショップ、出版など多角的な運営をしている。当時のヒッピー・コミューンの面影はあまり感じられないが、ボランティアの集う部屋をちょっとのぞくと、当時を髣髴とさせる雑然とした雰囲気を味わうことができる。全英のみならず世界各地からボランティアが集まっていることがわかる。

地域とよい関係を保っているコミュニティを見てみると、根気強く積極的に情報発信を行っていることがわかる。また学校活動や地域の祭りごとなどを通じて、パーソナルな交友関係が築かれたこと、さらに地域に対する経済的、社会的な貢献が、長年に渡って認められ、支えられるようになった様子が伺える。

新住民と旧住民、あるいは地域コミュニティとテーマコミュニティの軋轢は、日本でも馴染みのある話題である。「どこもそう変わらないよ」とイギリス人。程度や性質に違いはあろうが、よい人間関係を築くのに時間と努力が必要であることは、どんな社会でも共通なのだろう。

エコビレッジ訪問記 ウェールズ2

翌日はポールとクリスとともに燃料用の薪を切り出しに森に出かける。重い丸太を運んだり整理したりする作業で、かなりの重労働だ。でも天気のいい森の中で汗をかくのは気持ちがいい。終るころにはへとへとに疲れていたが、もっとやってもいいかなという気持ちになっている。

ポールの話では、初代カップルは離婚しコミュニティの活動からも遠ざかっているが、今でも親交はあり、そのひとりエマは隣りの敷地に住んでいるという。「エマの家を訪ねてみるといいよ。今日はその辺にいるはずだから」と言わ
れ、わくわくしながら彼女の家を訪問した。家というより緑に埋もれた小屋という感じだ。

エマは想像していたとおりカリスマ的な雰囲気をもつ、バリバリヒッピー風の女性だった。彼女はちょうど畑の準備をしているところだったが、親切に作業の手を休めて家を見せてくれた。
「わたしは環境教条主義だからね、電気なんてものには反対なのよ。できるだけシンプルに住みたいの。この家なんて1週間くらいでできちゃったのよ。材料はみんな自然に手にはいるしお金はほとんどかかってないわ。高いローン組んで、家の返済に追われてあくせく仕事するなんて馬鹿げてるわね」

後半部分には賛同するが、電気はあったほうがいいと思うわたし。トイレも見当たらなかったが、冬でも外でするんだろうか。風呂やシャワーなんて当然ないわけだ。

「便利な道具は、時間がない人間にとっては頼らざるを得ないものだけど、こういうところで彼女みたいな暮らをしていたら、身体を洗うのに3時間かけてもいいんだろうな。」とクリス。確かに、ものがなくても時間さえかければ何とかなることもたくさんあるのだろう。自然にならい、時間をかけて工夫するプロセスにいろんな発見や楽しみがある、エコビレッジの本質的な部分かもしれない。

ブリスディア・メアを訪問してから数ヶ月後の2007年7月、ラウンドハウスの建築許可申請が再度否認された。「生物多様性や樹林環境に悪影響を与える」という理由だった。その模様は国内の有力紙やラジオ、テレビなどでも報道されている。メディアの反応はおおむねトニーに好意的であるが、その後の行方はわからない。

エコビレッジ訪問記 ウェールズ1

ブリスデイア・マウルは1994年に南ウェールズのペンブルクシャー州で発足、英国でも名前の知られているエコ・コミュニティのひとつである。3人の若者が,サスティナブルなライフスタイルを目指して野生の魅力あふれるこの地に移住。次第に同じような志向の人びとが集まり、古民家を改築しながら静かなコミュニティ生活が繰り広げられた。その名前が一躍有名になったのは、違法建築をめぐる行政との対立がしばしばメディアに取り上げられてからだ。
97年にトニー・リンチの建てたラウンドハウスは、藁や土など自然素材を用いたエコハウスとして雑誌やウェブでもよく紹介されているが、ペンブルクシャー州の国立公園事務所はお気にめさなかった。彼らは建物の取り壊しを要求、それに対してトニーは建築許可を求めて長年闘争を続けている。もっともこれらのストーリーと、現在のコミュニティ住民に直接の関係はない。2002年、ブリスディア・マウルはラウンドハウス組とは分かれて別組織をたちあげ、住宅組合から借地・借家する形で現在の生活を営んでいる。住民は大人10人、子ども5人、20代後半から40代前半の子育て世代が中心で、みな明るく朗らか、せわしく忙しそうにしていた。「過激」な印象はまったくない。


案内してくれたエリカはリラックスしたムードの女性で、食事の支度をしながらいくつかの質問に応えてくれた。「街の人に理解してもらうのはたしかに時間がかかるわね。でも日常の買い物や子どもの学校を通して人間関係ができたりして、だんだん変化していると思うわ。わたしたちは極端な主義主張を持っているわけでもなく、他の人たちとそう変わらないと思うのよね。ここに来たの?かれこれ
7年目かしら。多少の人の出入りはあるけれど、新しい風が入るのはいいことだと思っているわ」

私は友人のクリスと週末だけのウーファーとして滞在し、コモンミールにも参加させてもらった。夕食は月曜から金曜まで一緒に全員そろって食べるという。隣に座ったポールがここの仕組みを説明してくれた。

現在のブリスディア・マウルは問題のラウンドハウス・トラストと土地を2分し、約80エーカーの土地と建物、畑を所有している。野菜はほとんど自給。ヤギや羊、鶏も飼っている。週に一度のコミュニティ会議のほかに、外部からファシリテーターを招いてワークショップの研修を行うこともある。コースやイベントも実施しているが、収益を目的として恒常的に行う意志はないという。「お金が絡んだり、常にゲスト対応をしなくてはいけなくなると、コミュニティの生活に影響が出るからね」あくまでも住環境を守ることが優先とポール。

特に小さなコミュニティでは、エコライフとビジネスの両立は難しいのだろう。ここでは幼い子どもが多いこともあるのか、コミュニティと同時に家族の時間を大切にしている様子が伺われた。食事がすむと、リビングでは子どもたちが学芸会の衣装を着てはしゃいでいたが、早々にそれぞれの部屋に引き上げ、たちまちコモンハウスはひっそりと静まった。

2007年11月18日日曜日

エコビレッジとスピリチュアリティ

「持続可能なライフスタイルの模索」はエコビレッジのひとつのテーマだ。再生可能なエネルギー技術や環境にやさしい住宅デザインなどいわゆるエコテクノロジーはその実現のためのツールである。しかし、サスティナブルなライフスタイルやコミュニティを構築するには、技術だけでは解決できない問題がたくさんある。住民ひとりひとりの意識や仲間との関係性を、オープンでポジティブな状態で維持することもそのひとつだ。

フィンドホーンはしばしばスピリチュアル・コミュニティとして紹介されるように、その意識形成や集団結束にスピリチュアリティが極めて重要な位置を占めている。フィンドホーンの創始者のひとりアイリーンは「神からの啓示」を受けこの地で活動を始めており「
自然は人間の生命にとって重要な情報を持っており、自然とともに働くことを通じてその情報を学ぶことができる」と説いている。しかし、彼らの神は決してキリスト教や特定の宗教を意味しているわけではない。むしろ仏教や先住民の伝統的な宗教への興味関心が高く、受講生の中にも、キリスト教、イスラム教、仏教、無宗教いろいろな人がいた。

スピリチュアリティは私の苦手とするところで、十分理解できたか正直自信がない。特定の宗教にもとづく神ではなく、「人間の力を超えた崇高なものを自然の中に認め、それら対する畏敬の念を忘れずに謙虚に学ぶ精神」が私なりのせいいっぱいの解釈である。高度に工業化された社会では、人間があたかも自然をすべて管理できるかのようにふるまい、目に見えるもの、数値で評価できるものだけでものの価値を計っている。科学や経済のものさしでは計ることのできない価値を求める態度こそ、現代日本でももっとも欠けている視点ではあるまいか。

近代の環境問題はひとりひとりの意識を改革することなしに改善は難しい。また、集まって住むという生活環境中では、過去の伝統社会や企業組織の契約関係のような従来の社会構造とは異なる、民主的な意志決定のプロセスデザインが不可欠となってくる。

住民がお互いの違いを認め尊重し合いながら合意点を見つけていくには、自分の意見や感情を上手に表現し、また他人のそれも受け入れるオープン性を身につけることは肝要である。もちろん、感情を表現することが必ずしも常に正しいアクションとは限らない。しかし、感情の抑圧が人間性や人間関係に何らかのネガティブなインパクトを持つことも明らかだ。特に昨今の社会問題の背景には、十分に人間性が形成されず、他人の痛みを察することのできない人が増えていることがあるのではないだろうか。感情表現やコミュニケーションなんて訓練するものではないと思う人も多いだろうが、豊かな感情を育て、他人の感情も受け止めるためには安心してそれを表現できる機会が必要だ。

エコビレッジは「地球環境のため、コミュニティのため」だけではなく、「より人間らしく、より自分らしく」生きることを目指す人びとの集まりでもある。いろいろな意味で自分をオープンにしていくことは、その過程作業のひとつなのだろう。

エコビレッジ訪問 スコットランド3

私の受けた研修は、「エコビレッジ・デザイン・エデュケーション」という4週間にわたる経験者向けのコースだった。エコロジー、エコノミー、ソーシャル、スピリチュアルの4つの課程に分かれている。

中でも初日のディープエコロジーは研修中もっとも衝撃的な印象深いプログラムだった。エコロジーを人間のための資源問題や生態系の保全という視点ではなく、人間も自然の一部であり、人間と一体なものとして自然を体感するという前提にたった考え方だ。

考えてみると、地球上のさまざまな環境問題に対して多くの情報があるにもかかわらず、それらのあふれる情報が人びとの記憶にとどまることはまれである。戦争や貧困にまつわる多くの悲劇が報道されても、それらの知識によって自分の生活を変えたり、新しいアクションを起そうという人は多くない。情報が増えても世界は変わらないのかもしれない。

逆に、自らを愛するように他者を慈しめたら、他者の痛みを我がことのように感じられたら、今の生活は到底できないに違いない。人間と自然、他者と自己の同一視を体感するという考え方には深く共鳴する。

しかしながら、それをプログラム化したとき、やはり頭での理解と心身反応に乖離があることを痛感せずにはいられなかった。たとえば最初のエクササイズは地球の痛みを表現してわかちあうトレーニングだったが、いざそれを実践しようとしたとき、言葉で理解するほど簡単なものではないことに愕然とした。

感情をどれだけオープンにするか、どう表現するかについては、もちろん個人差があるし、文化的な違いも大きいと思われる。言葉で表現されないものへの思いやりや察しの文化は、日本人的なのかもしれないが、西欧ではすべて言葉や態度で表現しなくては理解されないのだろうか。そんなことをつらつらと考えながら、何となく気後れして積極的に参加できなかった。プログラム終了直後には後ろめたさというか劣等感すら感じていたが、他の受講者との会話の中で、国籍はばらばらでも同じような感覚の人がいることに少しほっとした。

研修のプログラムに加えて、夜にはシェアリングという時間があった。中央に置かれた石を握った人が自分の感じていることを語る間、周囲は発言をはさんだりじゃまをするような行為をしてはいけない。ネィティブインディアンのトーキングスティックの要領だ。他のコミュニティでも経験したことがある。

シェアリングは、実務的な情報交換や議論の場ではなく、主に感情的な面を分かち合うために行われる。他人の言葉に心を傾けて聞く態度と、きちんと聞いてもらえる環境をつくることによって、普段は表現しにくい、あるいは衝突を招くようなネガティブな感情も上手にシェアできるのかもしれない。

私は残念ながら、言葉の壁もあり、自信を持って自分の気持ちを表現することはできなかった。また研修という環境の中だったせいか、あまりその重要性を実感できなかったように思う。しかし、家族でもネガティブな感情を抱えながら気持ちよく生活するのは難しい。生活を共にするコミュニティでは、このような時間が重要な働きをするのだろう、と想像する。

エコビレッジ訪問 スコットランド2

フィンドホーンにはいわゆる住民が約500人、そのうち有給常勤スタッフとして120人がパークと呼ばれる敷地に住んでいる。コミュニティの定義は狭義ではフィンドホーン財団のメンバーだが、必ずしも敷地内に住んで生活空間を共有しているわけではない。近隣の村に家を持ちながらコミュニティのための労働を担う者もいるし、逆に敷地内に住みつつ外の仕事で生計をたてている人もいる。


オフィスでコンピューターを担当しているウィリアムも、フィンドホーン・パークに6年住んいたが、今は隣の村から通勤しているひとりだ。「中に住むのも楽しいけど、自分の環境や心境にあわせてコミュニティとの関わり方を調整できるのが大事だと思う。たまには距離を置きたいこともあるからね」なるほど、集団内の人間関係が行き詰まらないようにするには、そういう自由度は重要に違いない。ただし、「コミュニティにまったく関心がないのに利益だけを得ようとしたり、他人に依存するような人は困るけどね」というウィリアムの補足はそれ以上に重要なことだろう。

彼によると、住民の中にはヨーロッパだけでなく日本や中国などアジアの国々からやってくる人もいるという。「ここは異文化の集まる場所だから、それぞれの文化によってコミュニケーション方法もさまざまだよ。たとえば僕らスコティッシュは内気だから、ここのオープンな関係性には最初とまどう人も多い。アジア人もそうだろうと思うね。だけど緊密なコミュニティを作っていくには、ひとりひとりが外に対して意識をオープンにしていくことはとても重要なんだ」

フィンドホーンでは研修プログラムの最中も、常に一種独特の空気が漂っている。神やエンジェルという言葉や、握手や抱擁などのスキンシップが頻回に交わされるこの雰囲気に、おそらく多くの一般的日本人と同じように、私も最初は抵抗があった。しかしながら、日を追って仲間たちとの信頼関係が築かれるにつれ、それも次第に自然なものになっていった。

空間が常に整然とととのえられ、花や絵画など美しいもので囲まれているのも、人びとの気持ちをやわらげ明るくするのに役立っている。見た目の美しさだけでなく、ものごとがすべて優雅に正確に進んでいくことにも感心した。組織全体に、しっかりと統率のとれたきめ細かいケアがされていることが想像できる。

英国のコミュニティは「時間にルーズ、雑然として衛生レベルは決して
高くない、ルールや統率が苦手」というのが私の一般的な印象だが、ここではいずれも当てはまらない。コミュニティにもいろいろな文化があるものだ。

エコビレッジ訪問 スコットランド1

フィンドホーンは、英国はもとよりヨーロッパのエコビレッジネットワークを牽引している有数のコミュニティで、国連と連携しているNGOとしても知られている。

1963年、創始者の3人がキャラバンパークに移り住んで以来、変遷を重ね、1983年から本格的な環境共生型コミュニティに着手する。エコ建築、再生可能エネルギー、生物学的汚水浄化施設(リビングマシーン)、自然農法による食糧生産など環境に配慮したライフスタイルの基礎を構築するとともに、40以上のコミュニティビジネスを起業。また、世界的な成人教育、特にスピリチュアル研修の場として、年間万人を超える受講者が滞在しながら学んでいる。

敷地内を歩くと、キャラバンやユルタのようなシンプルな家から、大きくておしゃれな近代的な住宅までいろいろな建物が緑に囲まれて建てられている。デザインがあまりに多様なので、一見、何でも自由に建設できるかのように見えるが、実はさまざまなルールがある。

まず、住宅建築にはいくつかの財団の関連会社が建設した住宅を購入するケースと、土地所有者が建築ガイドラインに沿って建築する場合とがある。また、家を建築もしくは購入する人は、コミュニティに積極的に参加するか少なくとも目的に賛同する必要があること、土地を売ろうとする地権者はその責任において必ずすべての購入者がコミュニティの一員となることを保証しなければならないなどの条件がある。なお、土地売買手続には財団の土地販売グループが関わるようになっているので、勝手な売買は認められない。

そのほかガイドラインには、伐木、植林、フェンスや壁の設置、拡張や外構の改変にはコミュニティの承認が必要なこと、省エネルギーや高い断熱レベル、資材の選定などエコロジーに配慮した項目が定められている。

フィールドオブドリームと呼ばれる新しい住宅地には、規模も大きく瀟洒な外観の家がいくつもある。ヘンリーはフィンドホーンに住んで6年になるが、最近この中の一軒に引っ越してきた。ここではリビングマシーンの管理を担当している。家の中を案内してもらったが、建築雑誌に出てくるようなサンルームや吹き抜け、美しい家具調度のならぶリビングにびっくり。単身者の彼にこの家は広すぎるので、部屋を間貸ししたり、メディテーションやマッサージルームとして使っているらしい。暖房やソーラーパネルについての質問には、残念ながら適当な回答は得られなかった。

ジミーは、仕事として敷地内の住宅工事を請け負っている。昼休みに工事中の建物を見学させてもらった。エコ建築やコミュニティ参加へのルールについて聞いてみたところ「ガイドラインはあるけど、あくまでも努力目標ってとこじゃないかな。悪いけど、僕はこれをエコ建築とは呼ばないね。コミュニティへの貢献?僕らに仕事をくれることじゃないの」となかなか辛らつだ。

どうやら彼の施主は、エコロジーやコミュニティにあまり熱心ではないらしい。経過については定かではないが、外国産の材料や再生不可能な資材を多用していることが主な批判の理由のようだった。ジミーの施工している住宅が例外的ケースなのか、あるいは一般的な問題なのか私にはまったく判断できない。ただ、コミュニティの規模が大きくなり、メンバーの入れ替わりが進むにつれ、目標の共有やルールの徹底が難しくなるのは想像に難くない。